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ぶらり西尾観光《其の7》今川氏発祥の地(中編)

今川氏発祥の地は西尾市今川町

「今川氏発祥地」の碑が!

「今川氏発祥地」の碑が!

西尾市が「今川氏発祥の地」(石碑には「今川氏発跡地」と表記されていますが、発跡地とはすなわち発祥の地ということだそうです)だった!ということは前回お知らせいたしました。

 

さて、その「今川氏発祥の地」には有り難いことに説明書きがございました(写真左側の黒い石版です)。

それによると、

 

「承久の乱後、足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。
義氏の嫡子長氏は、義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ、吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家は二代満氏へと伝えられた。
今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束料として贈られた地で、長氏は次子国氏に伝えた。国氏は荘名の今川を名字とし、今川氏の祖となった。
今川の地名は荘名の名残と伝えられる。」

 

とあります。
鎌倉時代のことですね。

国氏は1243年生まれ。

この少し前には親鸞が浄土真宗を伝えたり、道元が曹洞宗を伝えたりしてます。

小倉百人一首ができたのもこの頃。

承久の乱(後鳥羽上皇〔西国:朝廷〕と北条義時〔東国:鎌倉幕府〕の争い)以後では三河の国は西と東のちょうど中間地点ということで、大変重要視されていたことでしょう。
西尾生まれの「吉良家」と「今川家」は清和源氏の流れを受け継ぐ大変由緒正しい家柄というのも頷けます。

承久の乱以後、西尾は力のある武将によって守られていたんですね。

 

それにしても、足利、吉良、今川と、これだけのビッグネームが西尾に関係しているなんて驚きです。(続く)