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吉良宮崎の蛭子社側に展示された船の部品
スクリュー2点と錨
先回お伝えした蛭子社のすぐ脇を何気なく見渡してみると船の部品が展示してあることに気づきます。
屋根もなく吹きさらしな状態での展示で、少々寂しいです。
置いてあるのはスクリュー2点と錨(いかり)。
スクリューの左端に小さな看板があり、曰く
「昭和34年(1959)9月21日超大型台風(15号台風)がこの辺りを通過しました。伊勢湾台風と名づけられました。当時の新聞は次のように伝えています。
15号台風で吉良町宮崎海岸に座礁した松岡汽船松隆丸は座礁当時のままの姿で救援を待っているが、同船では船内にある野菜・肉類など同乗組員45名の3ヵ月分の食糧を地元被害者のために放出し地元の人々を感謝させている(昭和34年10月3日付)」
とあります。
これを読んで「ははぁ、座礁した松隆丸の部品が展示してあるのかぁ」と勝手に解釈してしまったそこのアナタ!
それは完全に早とちりです。
というのも、よくよく展示品を見てみると、スクリューの隣には「スクリュー寄贈者 第八盛福丸(230馬力)早川誠」、錨の隣には「錨(いかり)寄贈者 庚栄丸(120トン)加藤敬三 加藤鉄夫」、そしてもうひとつのスクリューには「スクリュー寄贈者 大福丸(550馬力)糟谷勝美」と記載してあるわけでして、これはつまりこれらの船のパーツだと思うのです。
そんなわけで、どうせ看板を作るのでしたらこれら展示品に関わる内容について記載していただけると理解しやすかったなぁと。
結構紛らわしいと思うんですよね。
などと、一人スクリューならぬ頭を回転させていたわけです。