旬な地元ネタ!!
そもそも、東条吉良氏とは?
今日の記事は編集部の原人が担当します。
去る14日の日曜日、小雨のちらつく中、ご近所のお寺・済宗妙心寺派の寺院花岳寺の法要に行ってきました。
ここは東条吉良氏の菩提寺として創建され、江戸時代には高家となった旗本吉良家の崇敬を受けたところです。
全国的の花岳寺と言えば、なんとあの赤穂市の花岳寺が有名なんでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%B3%E5%AF%BA
Wikipediaもこのように赤穂市しか載っていません。よりによって赤穂市なんて思いもわいてきます。
ここで東条吉良氏について確認しておきましょう!!
Wikipediaによれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E6%B0%8F
「満義の四男尊義が吉良荘の東条を押領し」とあり、あまり良いスタートを切っていません。西条に勢力を限定された満貞と互いに正当性を主張し譲らず、子孫も抗争を繰り広げたとのこと。
東条吉良氏最後の義昭は三河一向一揆方に加担して松平家康(のちの徳川家康)に責められ、東条吉良氏は衰退していきます。
史跡との関係では、
東条吉良氏
拠点・・・東条城(現在、駮馬地内にある古城公園)
菩提寺・・・花岳寺
高家吉良氏{吉良義安から(吉良上野介義央含む)}
拠点・・・岡山陣屋(住まいは江戸の吉良邸)
菩提寺・・・華蔵寺
ということになります。
菩提寺の一文字目に<花と華>何か意味あるのでしょうか?
原人は最近まで吉良上野介義央の住まいは東条城だと思っていました。地元民なのに知りませんでした。
明日から、チョビットづつ、4月15日に行われました法要をご紹介します!!
この記事に関するキーワード